六甲山麓を歩く(2) 住吉川にそって五助ダムへ(その1) |
これから「六甲山麓を歩く」の話を始めます。神戸市内の本屋に行けば六甲ハイキングの本が何種類もあるし、ネットで検索すれば詳しい「六甲山歩き」の記事を載せた、ありがたいサイトもたくさんあります。私の場合、「山歩き」といってもずぶの素人の「散策」程度のものですし、また「上達」をめざすものでもありませんので、コース解説とかは上記の諸情報源におまかせし、私が歩いた道で目に留まった、考えた、もの/こと、について、とりとめもない感想の羅列になるでしょうが、「自分へのメモ」として残しておこうと思います。そんなローカルな内容でも読んでいただけるなら、うれしいです。
まず、下の「ハイキングコース案内図」をごらんください。(クリックすると別ウィンドウが開きます。すこしだけ大きくなります。見えにくいでしょうか。)
そのあたりが「六甲の前山」案内図の北限となっていることには、じつは深い意味があるということに最近気付きました。それはのちにふれるとして、この案内図の範囲が「私の山麓歩き」のホームグランドになるでしょう。もちろん来春には、この南麓から六甲山頂まで登り、そこから今度は有馬温泉へと北側へ下り温泉で疲れをいやしビールをいただく、というマイ・イベントも、ぜひ一度やってみたいと思っているのですが、さて実現できるでしょうか?
今回の山歩きのコースは、(1)上の案内図の左端(西端)に見える「住吉川」ぞいの道(「住吉道」)を「五助堰堤」(通称、五助ダム)まで登り、そのあと、(2)ダムの先の「出合」(登山道の交差するところ)からいったん南東(「打越峠」方面)に進み、途中で「黒五谷」と書かれている住吉川の支流にそって「芦屋カンツリー倶楽部」まで行くというものにしました。(1)では、昭和13(1938)年7月の「阪神大水害」、あるいは、昭和42(1967)年7月の「昭和42年水害」(「42水害」と略される)のあとをたどって、その災害の甚大さを想像してみたい。また、(2)では、六甲山系の中腹に、なぜ広いゴルフ場をつくることができたのか、その自然史(地学)的背景を体感してみることを課題に、デイパックを背負って出かけることにしました。
芦屋カンツリー俱楽部(↓ 写真は同倶楽部のサイトより) ゴルフコースの向こうに三宮方面の神戸市街地、神戸港が見える。私には無縁の場所ですが。